親の、親の、親の話を聞け~~


by tigersdad
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2006年 11月 14日 ( 1 )

普段通り

敗者の弁に、

「普段通りにできなかった」

というのがあります。
では、何をもって普段通りとするのか。


とおちゃんは高校の時、陸上部で長距離を走っていました。
地区大会も抜けられないヘッポコでしたが。
顧問の先生は生徒の自主性に任せてくれる方だったのですが、若くして突然癌でお亡くなりになってしまいました。
後釜として赴任してきた先生は、厳格な管理体制の中、最も能力の高い者に合わせ追い込んでいくやり方で、左脳デッカチなとおちゃんは、180度変わった練習内容にまったく付いてゆけなくなりました。
ますますヘッポコになってしまったとおちゃんでしたが、高校駅伝の県予選(の予選)があり、駒が足りずに区間を任されることになってしまったのです。
当然大ブレーキになることは予想に難くなく、個人戦とは異なり、皆に迷惑が掛かってしまうと、尋常ではない精神状態になってしまったのですが、そのとき顧問の先生からいただいた言葉で、こちらに戻ってくることができました。

「おまえなぁ、今更ジタバタしたって、スタートする前から勝負はついてるんだよ。
だから努力するんだ。
そのときの運で結果がコロコロ変わっちまったら、努力する意味がないだろ。」

正直、そのときは、言葉通りの感じ方しかできませんでしたが、今、この歳になって思い返して見ると、言外に、

「結果を受け入れる」

ということまで含まれていたように思えます。

すなわち、
どんな結果も原因がある。
うまくいったとしても、そうでなかったとしても、過程においてそれなりの理由がある。
だから改善もできる。
したがって、全ては偶発的なものではなく、そのことは受け入れなければならない。

「普段通り」にできない、その己が、実は勝負を目の前にしての今の実力、すなわち「普段通り」なのかもしれないし、そう考えるべきではないのでしょうか。

人間は、社会に出ている以上、競技者でなくとも、細かい勝負は常に行なっています。
だから、全ての人に当てはまることだし、また、勝負の大小によって、増長することは変ですし、卑下することもありません。

駅伝予選ですが、とおちゃんの区間で、予想通り順位は落としたものの、県の本選に出場することができました。
その後、とおちゃんはますます走れなくなり、正直、顧問の先生との仲も良好とはいえなかったのですが、それなのに、そんな言葉だけが、いつまでも胸の奥に残っていて、とおちゃんが生きてゆく上での支えとなっているのです。

先生は「先達」でした、ありがとうございます。
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by tigersdad | 2006-11-14 09:10 | つれづれ